不安への対処

  今月の慈光寺だよりには スペースの都合上
 さらっとしか書けなかった 公案 達磨安心(だるまあんじん)
 ですが 禅宗の本とか仏教入門てきな本でもよく出てくるお話です。

 達磨大師と弟子の禅宗二祖 慧可大師の修行中のやりとりです。

 弟子「私は修行を続けておりますが 心が未だ不安でなりません、
   どうか私の心を安心させて下さい。」
 達磨「それではお前さんの心をここへ持って来なさい、
   安心させてあげよう。」
 弟子「その不安な心を探しているのですが、どこにも見つかりません。」
 達磨「これであなたの不安な心は取り除けました、
    もうちゃんと安心させてあげたよ。」

 これは 禅宗の修行で公案として用いられているもので
 修行をして答えを見出すものなので、私がこの公案をどうこう
 説明出来るものではありません。
 しかしその中でなんとか愚考してみまするに、
 最後のお言葉はあなたは自分自身の不安な心というのが 
 きっちり わかっているではないかと、心の状態を把握しているでは
 ないかと言われたかったのかなと 思います。


  不安って 自信がないという状態でもあり
  漠然とわからない未来のこと、未知なることへの恐怖もあり。
  不安が不安を呼ぶと 妄想が膨らみ
  心身に影響をおよぼすこともあります。

  しかし、不安があるからこそ 備えて準備出来るし
  努力もできる。不安があるからこそ
  人類は生き残ってこられたとも言えます。

   私は子供の頃から不安な状態になりやすく怖がりで
  風邪もひきやすくて 痩せていたのですが
  お寺に住まわせて頂くようになって
  毎日  お経をあげさせていただいたり
  いろいろ雑務をしている内におかげさまで
  少しずつ 元気になってきてきました。

   そして少しぐらいの落ち込みや不安というのは
  元気をつけるための助走のようなものであり
  壁にぶつかったら 経験を積むチャンスだと
  思えるようになりました。
  

   未来に対する不安、
  嫌な人に会うとか、苦手な仕事、
  うまくいくかどうかわからない事が
  あったとして 一番いやなのは
  それまでに何回も何回も 思い出しては
  うまくいくかなあ と 悩むことです。

  目が回るほど 忙しかったら 悩む暇も
  ないでしょうが、少し時間があったり
  夜中 一回起きたら気になって寝られなかったり・・・

   体も悪くしますし、人生の限りある時間が
   もったいないです。

   そこで  自分は 今 
  心配でしょうがないんだなと 認識したのち、 
  「心配して何か得することはある?」
   と損得で 考えてみるのも一法かと思います。

   そうすると
  「いや、こんなことばっかり考えても 
   逆に 心配が増えるだけで損だ」となり
   むやみに心配する気持ちが少しずつ減ってこないでしょうか。

   その後、「じゃあ 得するにはどうすれば
   どうすればいい?」という自分への問いかけをしてみましょう。

   そうすると 同じように心配して不安になっても
   建設的な物事に対応するモードに近づくと思います。

   心配して得したーーとなれるように 少しずつ少しずつ
   心を鍛えていけば、実際に自信もじわっとついてくる
   良い循環になるのではないでしょうか。

    なんせ 不安は生きている限り あるもの
   それなら 少しずつでも実のあるものになって
   いけばと 思います。
                    つづく