怒りとは

  今週は ひさしぶりに風邪気味になっておりまして
 夜はおとなしく早めに寝ておりました。

 もう一週間ぐらい空いてしまいましたが
 前回の続きを。

  怒りについてということで
 スッタニパータなどを引用しながら
 お話を始めさせて頂いたのですが
 どういった時に怒るのか 怒られるのか
 怒りが生じるのか。

 怒りは 自分でこう動いて欲しい
 こうあるべきだという 基準があって
 そこから 逸脱するからではないか。

 逆に欲は その基準がない
 何か手に入れたらもっと欲しくなってしまう。



  みなさまにお聞きした意見のなかで

  自分がしようとしていた時に
 何ではやくしないのかと突っ込まれた時
 という事がありました。
  
  片づけよう 掃除しようと 思っていた矢先
 言われると やる気が失せたり 腹が立つ
 という事ですね。

  あれはなぜ あんなに むかっとくるのか?
 はいそうですね、と 明るく答えて 行動すれば
 いいとは思いつつも そうはいかない。
  
  怒られるのにしても
 自分が悪いなあとか間違っているなと
 思うと 素直に聞けますが そういうことではない。
 
  自分はわかっていたんだよ と
 そんなに 下の存在じゃないんだよ
 もっと 自分をわかってよ という心より
 生じるものではないかと 思います。
 
  人間はやっぱり自分を見て欲しい 分かって欲しいものですからね。
 
  煩悩をおさえて 執着がなくなれば楽なのかもしれませんが
 そこまで到達するのも難しく どうしたらいいでしょうか。

  自分を 見て欲しいよという 「我」は
 良い方向に行けば 子供さんなら ほめてもらう為にがんばって
 勉強するとかに 向かうかもしれません。大人でも
 仕事などで大きな成果があがるかもしれません。
  
  ですが  「なんで あんな良い子が あんな事件を」 というのは
 見て欲しいという 我で 動いていたのが
 何か 不幸にも 方向が間違ってしまったからではないでしょうか。



  話をもどしまして みなさまにお聞きしたご意見の中で
 「なんではやく せんのんや」と旦那さんに言われて
  むかっとするも 相手の 身体の事を慮って
  我慢して 言うことを聞くという お話がありました。

   怒らずにいるのがいいのかもしれませんが
  相手の事を 思いやるという その心が
  怒りをおさめる というのも 
  大事な 一歩かもしれませんね。


  
  ブログ 2回目ですが 文章がまとまりなくて
 すみません。
  ブログというのを書いてみまするに
 これはなかなか 気をつけないと これこそ
 自我の増大 というか 自分を見て欲しいんだという
 心 全開に なりそうな 感じがいたします。

  よろしかったら また 読んでくださいませ。
  
                      慈元