同時 という言葉は 
 よく 使う言葉でありますが
 仏教用語でもあります。

 仏様の 人々を救う心を
 行いとして説かれたものを
 四摂法 と言って
  布施  愛語  利行 
 そして 同時 の四つのことをいいます。



  「同時」というのは 相手と同じ立場
 同じ目線に立って 物事を考えるということです。



  牧師さんから 聖書には
 自分がしてほしいことを 相手にするという
 ゴールデンルールがあると聞いたことが
 ありますが 行いとしては 同じかと思います。


 相手の身になって考えるということで
 して欲しくないことは しない という事も
 含まれるでしょうか。


  しかし 相手の身になって考えるという
 ことは 言葉で言うほど 簡単ではありません



  身体の不自由な方の身になってみたり 
 くどくどと同じ事ばかり言われる
 孤独な老人の方の身になって
 理解に努める等々、、
  慈悲のこころが 必要です。



  心が荒廃していると言われる昨今ですが
 あたたかい 慈悲の心を実践されている方も
 多くいらっしゃいます。
  

  そのようなお話を聞いて
 「そういう人に私たちもなりたい。」
 と思われた方は 仏さまの種が心の中で
 育ちはじめていると思います。


  自分がこうあったらいい、自分にこうしてほしい
 と思うことを 迷わず 人にすぐ 出来る人は
 心は 仏様に なられています。
  ほんの少しの間でも 
 即身成仏 といえるのではないでしょうか。
  

  あと 点数を取るみたいに 良いことをした 
 これで 仏様に近づけるかな とか
 位だったら かわいいですが この心は
 すぐ 人に ほめて欲しいなあとかにつながって
  逆に鬼になってしまうので注意^−^
 

  最初は意識的にでも 徐々に自然に
 慈悲の行いが出来るように 鍛錬ですね。
 


  同時とは 自分を 捨てて*1
 慈悲のこころを 働かせるという言葉なのです。





  
  話が飛びますが
 アニメのドラえもん のび太結婚前夜というお話で
 静香ちゃんの お父さんが のび太くんを評して

あの青年は人の幸せを願い、
人の不幸を悲しむことのできる人だ。
それが一番人間にとって大事なことなんだからね。
彼なら、間違いなく君を幸せにしてくれると僕は信じているよ。

 としゃべっていて
 のび太くんは すごいなあと思いました。
 思えば 子供の頃から そうだったかもしれませんね。


  

 

*1:自己犠牲というわけではないです