慈光寺だより 補足 

  今月の慈光寺だよりに 慈悲の実践のとっかかりとして
「自分が他の人のためにしたほうがいいなあと 感じたことは面倒臭がらずに行う」
 ということを書かせていただきましたが 法話で補足したことなどを。
 
  自分が あっこれは 手伝ったほうがいいかもと思ったことに素直に従うという
 ことなのですが 自分にとっても活動的で前向きになっていいのと 人の役に立って
 お互いに 助け合う 良い関係になるというのが わかりやすい理由としてひとつ。

  もうひとつ 自分が他の人のためにしようとおもったことを めんどくさいとか思って
 やめようと 少し起こった良心に裏切った行動をした場合発動する 考えがあります。

  仏教でよく 煩悩は貪瞋癡からなっているといいますが
  そのうちの 癡(ち)=物事の道理に暗く実態のないものを真実のように思い込むこと
  です。
  
  つまり 勝手に妄想してしまうということです。
   
   たとえば 洗い物が溜まっていたとして 忙しそうだから 手伝ったほうが良いかなと思ったのを
  自分の担当じゃないし しんどいから やめようというような状況があったとします。
   その時 あっさりやめて また 何かしら仕事でもすぐあれば どうということはないように思うのですが 
  繰り返すと  だんだん 自分の視点が 変わって きます。
   自分は こんなに 他の人より 働いてるんだから 手伝わなくていいんじゃないかという心とともに、
  自分が忙しかった時 相手は ぺちゃくちゃ雑談して 手伝ってくれなかったじゃないか、、
  そういえば  他のところでも さぼってたな あの人 と 自分を正当化するとともに
  相手の悪い ところばかり 見つけて  実際の人となりを 見なくなっていくのです。

   そして 現実を見る目がゆがんだまま 習慣や性格として 蓄積してしまうという悪循環がはじまります。

   何年か前 このようなことがもとで 歯科の診療所でスタッフ同士の仲が悪くなったことが あったので
  今 考えると こんな理由だったのかなあと。。

   自分が あっ 相手と自分を思い込みで見てると 気づくようになるともに
  出来る範囲で
  自分が他の人のためにしたほうがいいなあと 感じたことは面倒臭がらずに行う
   ということを 少し習慣づけてみるのはいかがでしょうか。