11月のおつとめ

11月6日 第一火曜日のおつとめを
 させていただきました。

 そこで お参りの後 少しお話した資料などを
 コピペで

  仏道をならふといふは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
                     正法眼蔵より

「自己を忘れるということは、考えないようになるということです。
考えないようになるには、常に現在この瞬間にいるということです。過去のことや、未来のことに想いを馳せると、この瞬間におれなくなる。つまり考えておる訳です。
ちょっとでも過去や未来に想いを馳せて考えていたら、無条件に、現在この瞬間に帰ることです。そして、現在この瞬間にできるだけ多くいるように心がけることが、悟りへの道であるといわれています。

  
 また 主体性を獲得する必要を言われている言葉でもあります。
我々は 世間の人がいいというものを よし とし、世間の人が悪いというものを
わるい としている。 流行を追いかけるのも人の悪口を言うのもそうである、
世間のものさしから 自由に なることが 人間のものさしを捨てて宇宙の仏様におまかせするという  自己が 無我へつながっていくという一歩ですよと
いう言葉ではないでしょうか。

  

  と もろもろの本などで 様々な説がある
 有名な言葉であります。

 仏道は 自分はなんだろう 何がしたいんだろうとか
 考えたり
 なんて 自分はダメなんだ でも 何か出来るかもとか
  トライアンドエラー を 楽しむものかもしれません。

   何とかなるなる なんとかなるなる。