節分会

 慈光寺の節分会は 19日(土)に
 開かせていただきました。
 多くの方が参加してくださり
 たくさんお経もあがっていい節分会になりました。
 みなさま ありがとうございました。

 暦では 節分の次の日から 本当の巳年となります。
  蛇が脱皮するように いらないものを捨てて新しく
 なるということで
 節分を機会に新たなことをはじめるのはいかがでしょうか。

  こういうことをしたいと目標をたてても
 なかなか続けるのは難しいです。
 2,3週間続いても 何か 忙しいことなど
 あると 途切れてそのままにということはよくあります。
  
  こうやったら上手くいく こうがんばったら
 こんな理想の自分になれると考えてる時は
 とても楽しいのですが
 実際は 自制力を発揮して 今まで
 やらなかったことをやらなくてはいけません。

  考えてるだけが一番楽で楽しいというお話ですね。^ー^;

  当たり前ですが それでは 何ら進歩が
 ないですので やろうと思ったことが長続きしない
 方は 工夫が必要です。


   本当に やりたい事が 意味があるのか
  本当に したい事なのか。をまず考えて
  やる気のモトを作ります。
   実現できたらこんなことがいいだろうというのも
  プラスになるかもしれません。

  そして 自分の内側を見なさい
  観察しなさいと 禅などでも言われますが
  どういう時に 自分が誘惑に負けるのか
  くじけてしまうのか。
  
   どんな言い訳を 心の中でする傾向が
  あるのか。。
   言い訳がでてきた時に どうしたら
  落とし穴に落ちないように出来るのか、、、
  そんなことを用意しとくと心強いのではないでしょうか。

    あとは 周りの方の助力ですよね。
   お釈迦様は 悟りを得るためには
   善友が必要だ 禅友がいれば
   半分は達成したも同じだと言われています。

  
   悟りとまでは なかなか行かないにしても
  これをしようという目標を
  家族や友達に宣言して 見張っていてもらうとか、
  声をかけてもらうとか 協力をあおぐとか。。
  

   仕事や夏休みの宿題みたいにしないといけない
   リミットを設けるとか。

   あと ダイエットや運動とかの場合
  誘惑に 負けてしまった ダメだーーーと
  落ち込んで逆に投げやりに なってしまうことがあります。
   
   そんな時は まあ人間なのだから
  そういうこともある、と許して
  切り替えて また始めたほうが
  結果的に 長続きしそうです。
 
   
   とこのようなことは お釈迦様の
   亡くなられる前に説かれた 大般涅槃経
   最初期のお経といわれる法句経などから
   引っ張ってきて 考えてみたもろもろです。

    それでは このへんで失礼致します。
                        慈元

 古いお経に
 「怒れるものに怒り返すことは、さらに悪しきことなり。
  
  怒れるものに怒り返さずして、人は2つの勝利を得る
  
  他人の怒れるを知りて、正念に己を鎮むる者は、
 
  よく己に克つとともに、また他人に勝つものなり。」

   と書かれているところがあります。

   この場合の怒られるというのは 自分のとこの弟子が
  お釈迦様のところへ行って弟子になったので
  怒鳴りこんできて 悪口雑言を言われているというシチュエーションです。
  

  お釈迦様は別に他人の弟子を取ろうと思ったわけでもなく
  個人の意思で来ただけだったけれども
  (むしろ弟子にならずに今までのところでしっかり
  努力しなさいといわれる話もあります)
  怒鳴りこんできた人が 落ち着くまで 
  だまって聞いておられて そこから お話されたということです。


   ですので 何か 悪いことやミスをして 
  怒られたというのと また違いますが
  それにしても なかなか難しいところです。

   妬みや誹りを受けて きっちり言い返さなかったら
  負けるみたいなところがありますが、
  非難の応酬になってしまったら
  ドツボに陥ってしまいます。
   
   そんなことにならないように 落ち着いて
  仏様の智恵を いただけませんでしょうかと
  お経をあげたりお参りしていただけると
  いい智恵が 生まれてくるのではないでしょうか。
   
 
  
   この状況とは違いますが
   自分に非があって怒られた時に
   逆に 怒り返して どんがら どんがら
   なると 勝ち負けで言ったら 
   3重負け ぐらいですね、
   相手も自分も傷つくし 物事も進まなくなります。

    そんな時
    相手の怒りのオーラって ついつい対抗して
   怒りの心が燃え広がってしまうところですが
   そこで まず あっ 怒ってるなと 気づくことが
   一歩かと思います、

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます
 もう5日ですが 今年の初ブログです。

 ブログも こう他の方の書かれたものを
 拝見すると もっと見やすかったり
 読みやすいようにされていて
 今年はそこも考えつつ
 一週間に一回以上は 本などを読んだり
 生きていて思ったことを 書いていけたらと
 思っております。


  一年後の自分へ手紙を書くというか
 一年後に 自分が見るように 
  目標やこうなっていたらいいなと言うことを
 書いておく ということを 2011年の
 年末に はじめてやってみました。


  好きなように 書いていたのですが
 出来るかな??と思っていたようなことも
 周りの方のご縁や協力により達成出来たり
 一年後の目標を書いてみるというのは思いの外 
  良い行動でした。
  
  2,012年を振り返りますと
 つらい出来事が起こったように思えても それが
 次への縁になっていたりして 自分で言うのも
 なんですが 運が良かったです。
  
  周りの方に恵まれていて おかげを
 頂いているということが 本当によくわかりました。

  新年 1月からということで
 行けるかな これはやってみたいなということを
 書いて 年末にでも見てみると言うのを
 試しにやってみてはいかがでしょうか。
 
   お勧めです^ー^/          
  

 

大掃除

 最近は 年末年始も忙しくて
 なかなか まとまって 大掃除ということも
 できにくくなったかもしれませんが、
 せめて年末に 普段よりは 掃除や片づけを行いたいところです。

 仏教では お釈迦様の頃から 掃除や
 身の回りを片付けておくことが 
 大事と言われてきました。

  師匠である法尼様に
 部屋が片付いて いないということは
 心や 頭の中の整理がついていないことと
 一緒です。 と何回もよく怒られていたことを
 よく思い出します。^ー^

  あの頃は 机の上に 物 ひとつ 残さず
 出かけていたのですが、今は本とかが
 残っており、気をつけなくてはと思っております。

  掃除をなかなか 始められないかたは ここだけでも
  やろう、 自分の 頭や 心を鍛える修行だと
  思って 少しずつ始めると
  次々と これもやりたい あれもやりたいと
  片付けが 進むのではないでしょうか。

   マスクなどをつけて 気合をいれて
  お掃除をはじめるのも ひとつかもしれません。
   
   部屋が片付くと共に よい新年を迎えられるのではないでしょうか。

怠ることなく ブッダの言葉

 
  ブッダの最期の言葉として        
   亡くなられる前に言われた言葉に
    「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい」
   
    常に物事は移り変わり限りあるからこそ
    怠ることなく 行を続けなさいと言われた有名な言葉ですが
    くわしく お経の読み下し文だと

        汝ら修行僧たちは、
        怠ることなく よく気をつけて
        よく戒めをたもて。
        その思いをよく定め統一して
        おのが心をしっかりと守れかし
        この教説と戒律とに務め励む人は
        生まれを繰り返す輪廻を捨てて
        苦しみも終滅するであろう・・と

     と書かれています。

     怠ることなくはわかっていても
     そこが難しいところです。

     なので よく気をつけて 
     思いをよく定め
     自分のこころをしっかりと守りなさいと
     言われてるんでしょうね。

     よく気をつけて
     思いをよく定める、、、

      柔軟性を持ちながら意思は金剛石のごとし
  
      まずは 何をしたいのか どこを目指しているのかを
      自分に問いかけることから はじめるのが吉 でしょうか。。

 

慈光会 長谷寺参拝

 12月1日に 14名で
長谷寺へ参拝に言って参りました。

 10時半に長谷寺の駅集合の予定だったのですが
 途中の駅で全員が出会えまして 早めの出発。
 
  思ったより駅からお寺まで距離がありましたが^ー^
 途中から参道にお店があるので楽しかったです。

 お寺へ行く前に まずは 腹ごしらえと
 11時より前でしたが 門前の田中屋さんというところで
 にゅうめん定食を頂きました。

  実は 最初小雨が降っていたのですが 
  ご飯をいただいて 本堂へ登ろうかというところから
  晴れまして ありがたかったです。
   
 そこから 花の時期には 牡丹の回廊として有名な
 399段の階段を登って 本堂へ
 本堂のところまで登った頃 ちょうど正午のため
 鐘と法螺貝が鳴らされ おつとめされていました。

  清水の舞台と同じ構造の舞台になっている本堂
  そして 特別拝観で ご本尊の十一面観世音菩薩さまの
  おみ足に触れられるということで 本堂の中へ

  長谷寺のお観音様は 錫杖を持たれている十一面観世音菩薩さま
 まわりには 観音経で 登場される三十三変化の絵が
 かけられていました。
 
 こんな機会は、なかなかないので皆必死になって
 お願いしていました。行かせていただいたのが正午くらいなのか
 まだ人が少なくみなさん 両足それぞれに触れて
 お参りされていました。

  それから 御影堂や五重塔などを巡ってから帰宅の途へ


  慈光会の寺社参拝は お参りをするのが主目的なので
 いわゆる観光シーズンを少しはずして ゆっくり落ち着いて
 お参りをさせていただく事が多いです。

  今年は 枚岡神社 大原三千院 吉野金峰山寺 比叡山
  浄瑠璃寺 長谷寺と お参りさせていただきました。
   いつもわりと急に企画する慈光会ですが
  いつも10数人で行く事が出来、
  いろいろな良いハプニングもあったりして
  有意義なお参りができたかと思います、

   また 来年も 企画いたしますので
  ご参加 いただければ ありがたいです。
  

心配はしなくてはならぬ

 慈光寺だよりに書かせていただいたことですが
 白隠禅師の再来と言われた高僧 
山本玄峰老師は よく
 「心配は しなくてはならぬ。してはならぬのは 心痛だ。」と言われていたそうです。

 心配とは 心をあれこれと配ること
 病気の方や相手の立場にたって 気を配る。考える
 すると 自然に思いやりの心が働く。

 心痛は 自分だけのこと 自分の目線だけで 上手くしのげたらいいのになあ 
 失敗したらいやだなあとか ばかり 考えるということでしょうか。

  自分のことを大事にするのはいいのですが
 自分のことばかり考えると 心痛ばかりが膨らむ
  でも その人が出来る範囲で 周りの人のことに心を配ると
 心痛が 軽くなり 相手にも喜ばれ
 結果 心痛の原因もまわりまわって好転する方向へ
 いくのではないでしょうか。

   不安がどうしても先にたってしまう方は
  実際 やってみると
  幸いにして?というか
  考えている最悪の状態には ほとんどの場合
  ならずに なんとかなります。
   
   不安がある上での 試行錯誤 それまでに出来ること 用意することを
  した上に 積み上げていく自信は 結構いいものかと思います。